欲 令 衆
 はじめに、仏がこの世にお出ましになられた目的は、すべての人びとを平等に悟りの世界に導き入れることを語って、仏と私たちとの深い因縁をあかし、次に苦しみにみちているこの世の中で憂い悩むいっさいの人びとを仏は救い守ることをのべ、最後に法華経こそお釈迦さまの説かれた真実の教えであることを示した経文。法華経の方便品第二と譬喩品第三と法師品第十および見寶塔品第十一の経文のなかから選びだしてまとめたもの。法華経を信ずれば、お釈迦さまによって苦しみからはなれることができるとともに、救い導かれてつねに仏に守護されていることを確信しつつ、この経文を読誦すること。
欲令衆 真読 欲令衆 訓読
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏 常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息 如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護我遣化四衆 比丘比丘尼 及清信士女 供養於法師 引導諸衆生 集之令聴法 若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護 爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実  諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし 常に生老病死の憂患あり 是の如き等の火 熾然として息まず 如来は已に 三界の火宅を離れて寂然として閑居し 林野に安処せり 今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す 我化の四衆 比丘比丘尼 及び清信士女を遣わして 法師を供養せしめ 諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめん 若し人悪刀杖及び瓦石を加えんと欲せば 則ち変化の人を遣わして 之が為に衛護と作さん 爾の時に宝塔の中より 大音声を出して、歎めて言わく 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは皆是れ真実なり。

現代語訳

もろもろの仏は、すべての人びとが本来そなえている仏の智慧を開かせて、煩悩のけがれをとりさって清浄にするために、この世に出現なされた。
 すべての人びとに仏の智慧を示そうとして、この世に出現なされた。
 すべての人びとに、仏の智慧を悟らせようとして、この世に出現なされた。
 すべての人びとを、仏の智慧の道に導き入れようとして、この世に出現なされた。
 舎利弗よ。
 これを、もろもろの仏が、ただ一大事の因縁があるからこそ、この世に出現されたというのである。
 この世は、欲望がさかんで、生死の苦しみにみちている。ひと時も、安らかなことがない。
 それは、さながら、ぼうぼうと燃えさかる家のようである。
 さまざまな苦しみが、いたるところにみちみちている。
 この世ほど、こわいところはなく、人びとは恐れおののかないではいられない。
 つねに、生・老・病・死の四つの苦しみに憂え、わずらっている。
 それは、燃えさかる火が、ますます燃え上がって、消えることなく燃え続けるようなものである。
 しかし、仏は、すでに、煩悩の燃えさかる家のようなこの世の苦しみや迷いからはなれて、心静かに、清浄で安らかな悟り の世界に住んでおられる。
 それは、閑静な林や野原に安らかに住んでいるようなものである。
 けれども、いま、すべての人びとが憂い苦しんでいるこの世は、みんな、仏である私がおさめているものなのである。
 この世の中で苦しみ、悩んでいるすべての人びとは、ことごとく、仏である私の子どもたちなのである。
 しかも、さまざまのわずらいや多くの困難がふりそそぐ今のこの世を、ただ、仏である私一人だけが、よく救い導き、護って  いるのである。
 私は、僧と尼と清らかに信仰している男女の信徒をつかわして、仏の教えを修行しひろめて仏の道を歩んでいるものを供養せしめ、さまざまな人びとを仏の道に導き入れて、これらの人びとを集めて、仏の教えを聞かせようとしているのである。
 もし人が、悪い心をおこして刀や杖をふったり、瓦や石を投げつけて危害を加えようとしたならば、すぐさま人のすがたに身を変えた使いをつかわして、仏の教えを信じひろめるものを護り通すであろう。
 このように仏が語られたとき、宝塔の中より大きな声を出して、多宝如来はこうほめたたえられた。
 よくいわれた。よく申された。釈迦牟尼世尊よ。
 よくぞ、平等で大きな智慧をそなえ、身と心をささげて仏の教えをひろめる菩薩のための教えであり、仏が護り念ずる妙法蓮華経を広くあらゆる人びとに説かれた。
 そのとおり、そのとおりなのである。釈迦牟尼世尊が説かれた教えは、すべてみな、真実なのである。