鎌倉辻説法


鎌倉でのご布教

 今度いつ会えるかも分からず、東条景信の危害が及ぶに違いないご両親に、深くお詫びして、自ら「日蓮」と名乗って千葉をあとにされました。
 鎌倉へ着かれた聖人は、松葉が谷(やつ)に小屋を建て、昼は鎌倉の辻に立ち、夜は心ある人々を集めて法華経の話をするという生活でした。
 たちまち鎌倉中のうわさとなり、各宗派のお坊さんたちは「敵が現れた」と大騒ぎになりました。
 そんなある日、大地震によって、人や動物の死体が街にあふれるという大惨事が起きました。
 日蓮聖人は、富士の麓(ふもと)の岩本実相寺で、全ての仏教経典を読み直し、大惨事の原因を追求して、「正しい法に従わなければ国がだめになる」という論文「立正安国論」を書いて幕府に提出しました。

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初転法輪 絵で読む日蓮聖人のご生涯 松葉が谷法難
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